戦略的本質主義の観点から見る舞祭組

 

 舞祭組とは横尾渉宮田俊哉二階堂高嗣・千賀健永の4人からなるKis-My-Ft2の派生ユニットである。Kis-My-Ft2の残りのメンバーである北山宏光藤ヶ谷太輔玉森裕太の3人に比べて歌割や衣装の装飾、あるいは個人の仕事も少ない4人にスポットライトを当てることを目的に2013年に結成された。舞祭組のコンセプトを理解するために1stシングル『棚からぼたもち』の歌詞を以下に一部抜粋したい。

 

B・U・S・A・I・K・U
B・U・S・A・I・K・U
「助けてくれ~」

 

僕たち四人で大丈夫なのか?
たしかに輝きは、ない(ない!)ない(ない!)ない(ない!ない!ない!ない!)
いきなり注目厳しいかな
ところで自信も、ない(ない!)ない(ない!)ない(ない!ない!ない!ない!)

 

トークの時間は(ガヤガヤガヤガヤ) オレらの時代が(キタキタキタキタ)
こんな企画もほんとたまたま(ガヤ、キタ、タマタマタマタマ)
三人の後ろで(ガヤガヤガヤガヤ) 開花の瞬間(キタキタキタキタ)
だけど僕ら結局棚からぼたもち(ガヤ、キタ、タマタマタマタマ) 

 

『棚からぼたもち』の歌詞は、上記のように4人にスポットライトが当たらない状況をコミカルに描いた内容となっている。〈キラキラしている〉〈かっこいい〉というステレオタイプが通常伴うジャニーズにおいて、「輝きは、ない」「いきなり注目厳しいかな」「自信も、ない」といったネガティヴなフレーズや、またなんといっても冒頭の「B・U・S・A・I・K・U B・U・S・A・I・K・U」という印象的なフレーズはジャニーズファンだけでなくそうでない者にとっても新鮮なものであり、多くの注目を集めた。

 

 このようにネガティヴな言葉で4人を表象することにはどのような意味があり、どのような未来が予測されるのだろうか?スピヴァク*1の戦略的本質主義の議論を交え考えてみたい。

 

 戦略的本質主義とは、「人間のアイデンティティの本質化を批判しながらも、社会的・政治的世界を理解するためにはときにそのような本質的カテゴリーの使用も避けがたいと考える*2」発想である。簡単に言えば、ネガティヴな表象を付与された者自身が、その表象をあえて模倣し自らの立場が有利になるように用いる戦略である。

 

 舞祭組はそのコンセプトとして4人にもともと付与されていた〈目立たない〉〈不憫〉といったネガティヴなイメージを模倣し利用しており、まさにスピヴァクの戦略的本質主義を用いた売り出し方と言えるだろう。そして、それだけではなく〈ブサイク〉〈歌が下手〉といったさらにネガティヴなイメージを付与し舞祭組は展開されていった。ネガティヴの程度が強いほど戦略的本質主義は効果を発揮するからだ。

 

 1stシングルにおいて舞祭組に用いられた戦略的本質主義はそのジャニーズ(アイドル)らしからぬ斬新さや捨て身の姿勢で〈戦略〉として成功を収めたと言えるだろう。しかし、スピヴァク自身も述べるように*3、〈戦略〉は〈理論〉ではない。〈理論〉は長期的な解決を提供してくれるが、〈戦略〉はあくまで短期的に特定の状況のみにおいて有効である。戦略的本質主義は、「アイデンティティが支配集団によってある本質的なカテゴリーに固定されない限りにおいて*4」有効であり、あえて模倣したアイデンティティが固定されてしまった場合は効果を発揮しない。また、自らがステレオタイプを模倣することでそのステレオタイプはより強固となる恐れがある。

 舞祭組の1stシングル『棚からぼたもち』の発売は2013年12月13日、最新シングルである4thシングル『道しるべ』の発売は2017年1月4日であり*5、この期間を短いとみるか長いとみるかは個人の主観でしかないが、わたしとしては戦略的本質主義が効果を発揮する期間はもうとうに過ぎているように思う。

 

*1:ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク

*2:スティーヴン・モートン. (2005)『ガヤトリ・チャクラヴォルティ・スピヴァク』本橋哲也(訳) 青土社. p.125.

*3:同上、p.125. 参照

*4:同上、p.125.

*5:DISC | Kis-My-Ft2 Official Website参照